ベトナムでの14日間の隔離期間が完了した!
更新日:2020年4月23日
こんにちは、
パイリンと申します。筑波大学で一年間の留学期間を完了させた。
まだ日本にいた時:
実は、あのとき、帰国したら、隔離場所に運んでもらったベトナム人の楽な2週間の生活の記事、写真とか見たら、”あの生活がなんであんなに楽しそうって羨ましいな”
って帰国したい!あんな生活を試してみたい”って思った。
ベトナムに到着してから、すぐに私から積極的に隔離に行けるように登録するつもりだと思い、行けるかどうか自信がなかった(そのときは、感染の疑いがある症状が出た人たちしかで隔離を受けないという)。
でも、日本にいた最後の夜(20日)には、ベトナムのニュースによりますと、
21日から帰国する人たちが全員で隔離措置を受けることになるという。Pailinはどれほどワクワクしているか皆さん分からないはずだ。
はい、正直にいうと、コロナのことは深刻になってきたんだけど、”Pailinには関係ない、この感染はPailinに移れないかな”っていう子供みたいな考えを持っていた。
隔離が遊びのようで楽しみだって事態を軽視するPailinだった。
あのとき、何も考えず、すぐに手に入れる隔離チャンスの楽しみしかについて沈まなかった。 それは浅はかな考えを持ったPailinで、申し訳ございません。
あとは、物事に軽く考えたことは全てベトナム政府の思いやりに敗れちゃった。
航空で:
21日15時に到着したら、航空で隔離の手続きを終わりにしてから、ある物事で”ベトナムに本当に戻った!”って気づいた。
10人ごとに1グループになって、隔離場所に運んでもらう車に一人ずつ乗るのを待っているとき、担当してくれる民軍おじさんはこう述べた。
“男性は荷物を持って、先に車に乗ってください。。。でも、荷物はそこで、あなた達はここに戻って、女性の荷物を車に乗せてあげてくれ!男性として女性に手伝うなんて当然だ!”こんなことは、本当に一年間ぶりに感じられた。。。
日本には男女関係は同じで、一緒に働くなら、男性も女性も重いものを自分で持ち上がるし、サークルの中で練習が終わったら、皆は公平的に重いものまでも片付けるということを感じがするので、私はいつも自分でやった。
でも、ベトナムにいるなら、作業がちゃんと重いか軽いか分けられ、
男性に重い分をやってもらうというベトナム人の観念だ。
また、荷物の話に言及すると、それはちっちゃいことだけど、ベトナム人男性には自分の責任だと思っている。私のグループの中で、男の人は二人だけいるけど、残る8女性の荷物を運んでくれた全然知らない二人男性の姿を見ると、
心が暖かくなり、”やっばりベトナムに戻ったね”って気がした。
たぶん、ここまで読んでもらっている日本人は”日本にはそんなにやさしい男性もいる”
って言う人もいるかもしれないけど、少なく見える。それはPailinの自分の意見だけでなく、日本人男性についてのたくさんの外国人のコメントだ。
(ごめん、隔離話から外れて、率直に言い過ぎちゃった。笑)。
ホーチミン市国内大学宿舎村(4万人の収容できる):
一人ごとに一つのお弁当をもらい、部屋に連れて行ってもらってから、“この部屋が気に入らないなら、この階にある他の部屋を探してみてね、まだ空室2週間は長くて、気楽な生活を送ってもらいたいからね。”って優しくこう聞かれた。(感動しすぎる(泣))。
晩ご飯を取りに降りると、あるボランティアお兄さんを見かけて、食事ってどんな時間か、お知らせがあるのかっていう気になっていたことをPailinは話しかけた。
“本当にごめんね。今日は初めてこんなに大量の隔離対象をもらったので(2000人数以上)、仕事はめっちゃ忙しくなっちゃって、皆は自分でお弁当を取りに行ってもらうの。
でも心配しないで、明日から、ちゃんと部屋まで、提供するよ。”
ってお兄さんはこういう優しい言葉で安心させたい視線をした。(顔はマスクかけてるんだね 笑)(超感動!!Pailinはね、感動されたら、絶対に誰かの一言を覚えてるの)
個人商品ももらった
ここまで読んだら、働いてる皆の苦労にまだ何も感じられないよね!
でもさ、Pailinは超暇で、長い時間でベランダから観察してみて、遅い夜まで隔離対象の車が数え切れないほどたくさん来て、ボランティアさんたちは手伝ったり、
荷物を運んだり、部屋に連れて行ったりする姿で何時間も繰り返したし、感動したろいろ光景が見つかった:((そして、彼らには部屋もないし、寝るとき、地面で横になってしまってた。。。
悲しい!なんで泣きたいって気がしたの。私たちはちゃんとした部屋が持ってるし、いつも時間通りに食事をもらうし、扇風機もあるし(大事!)、
つまり完全に設備するめに、彼らは本当にいろいろ犠牲してくれた
(大量の隔離された人たちに部屋を譲ったり、緊急事態の場合にできるだけ早く対応できるように、そいうことになった)。
特に、ボランティア彼らはお兄さんといっても、実際はPailinの同い年か、ほとんどは年下の方なんで、本当に感謝したい気持ちだ!すべて物語ったのは、
どこかの記事を読んだじゃなく、自分の目で毎日毎日、目撃してたことだ。
あの夜も、急に久しぶりの友達からのメッセージが来て、“何か不便がある?部屋が汚いなら、ごめんね。すべては急ぎだったし。。”不思議だな
って思ったら、彼がこの寮で住んでて、昨日の緊急のお知らせの通りに出たのだった。
それで、私はすぐにネットで調べて、ある国家の記事で驚いたの。
21日に入国する私たちに隔離措置を作るために、20日には寮に住んでいる大学生たちは案外の知らせで外に引越しないとっていう。
起こったことは誰も前に推測できなかったし、それが緊急事態の知らせなので、全部が一日中(20日)だけに片付けてくれたんだ。
犠牲してくれたのはここで補助してるボランティアのスタッフだけでなく、
もっとたくさんの全然知らない年下大学生たちだ。
初めてPailinは国民の団結のことを心からはっきり感じ取ったの。本当に偉かった!!
毎日、体温測定と無料の食事を提供してもらったの。やっばり、ベトナム人の食事だ!!いつも、たっぷり野菜のスープ <3
観察したこと:
普段は、寝坊するけど、いつも7時ぐらいに朝ごはんを取るようにお兄さんに起こされ(笑)、ある時、意外に早く起きて、またベランダからスタッフの作業が目に入ってきた。。。
彼らは朝4時30ぐらいから保護服を着用するのを全員で手伝い合い、昨晩のゴミを車に乗せ(この文では簡単に聞こえるけど、6000人数のゴミは。。
自分の目で見ても、そんなにたくさんって信じられない)、私は夢中になってて、いつの間にか朝ごはん時間が来ちゃった。
もっと具体的に言うと、食事配送するのも楽じゃなく、
11階の建物で一階ずつ上り下りするなんて苦しく感じるはずだ。でも、彼らは何も文句せず、優しい声で呼びかけてくれたの。
でも、時々私たちの心を引っ張るように可愛そうな顔を出し、
”疲れてるの?”って感心されたら、すぐに元気になりそうで表した。
Hahaやっばり彼らはまだ子供たちだ(ほとんどは私たちより年下)。かわいい!
朝5時から10時までいつもお世話をしてくれた
本当にありがとう!
一番可愛いのは、だんだん仲良くなってたら、”まだお腹空いたら教えてねもっとあげるから”ってこっそりよく聞かれたことだ(笑)。
ある時にも、こっそりにスイカをくれた(笑)長い時間あとで、
それはボランティアさんたちの食べ物なのに、私たちにくれたの自分で気づいた (超感動!)
Snackも毎日もらった
紹介したいコーナー:
日本人はご存知るかどうか分からないけど、最近は米国番組でも、中国でも特に世界中にベトナムからのコロナ予防の歌が人気がある。
これは感染対策の手洗いを呼びかけるために、ベトナム保健省が制作した「嫉妬したコロナさん(Ghen Co Vy)」とういうものだ。
たぶん、いいメロディーだし、動きやすいダンスだし、子供でもできるので、各国でチャーレンジしてTiktokでもちょう流行っている。
毎朝毎朝、隔離場所ではこの歌が流れてた:))
(最初は面白かったけど、だんだん朝の悪夢になっちゃったんだ。疲れた!!J)。皆さん、今は暇だから、この歌を聞き、チャレンジしてみてね!
手洗いの教えるダンス。。でも、保健省、ごめんね。毎日、この歌を流され、体操するのはもう飽きたの:((
そろそろ帰るかな:L
14日の5日間前:帰るアドレスの希望を登録するアンケートをもらい、交通機関は全部中止事態で外人にも接触していけないので、どうやって帰るかって本当に心配になっちゃった。でも、私たちはある言葉で言った:
“ここまで正解に決めたベトナム政府に心をこめて信じている!”。
帰る日の前、私たちは隔離対象として何もせず、
毎日食べ、遊び、寝るだけだが、ベトナム部隊から果物とギフトもくれた!!
帰る朝に、男性が自分で荷物を運んだけど、女性たちがベトナム部隊に手伝ってもらった!初めてベトナム軍隊にこんなに暖かく近づいたの!
お兄さんたちはカッコいかった。この感動した話はまだ終わってない。
迎えに来る家族のない人の場合では、
軍の部隊のお兄さんたちとボランティアさんたちがいつも手伝ってくれた。これはPailinと友達の荷物だ。彼らはカッコいい!
1.ホーチミン市内の方:各区の集団場所に車で運んでもらう。<3
2.他の地方からの方:地方の車が迎えに来てもらう。<3
(もちろん、全部は無料で。)
(あるいは、飛行機、列車駅まで)やばり、政府の解決法にを誇りに思ってた!
その朝は車の長い列が相次いで、感染流行に勝ったように皆でうれしく見事な光景だった。Pailinは(1)の車に乗った。
お知らせのように、各区の指定場所に止まるってことだけど、実際に“皆に苦労のないように、一人ずつの家に下ろすね”って運転手さんたちが頑張ってそうしてくれたの(超感動!)
列車駅でもコロナ予防宣伝も流されれている。毎日聞かされて飽きるようになったので、
”もういいよ!”って心の中で叫ぼうとしたが、いきなり最初の宣伝の一言は”質問1:コロナウイルス感染というのは?”って聞かれたの。(笑) 常識が足りないが、調べるなんて怠け者のようなPailinには有益な伝えやり方だと思う。実家行きを待ってるうちに、それは時間を潰すいい方法だ。それに、宣伝だといっても、コロナの情報をもっと詳しくしてくれるから、
まだ恐れてない皆にも恐れるようにさせるかもしれないかな。(笑う) その時、質問を聞いて、”分からない!教えてよ!”って宣伝機に独り言を言っちゃって、だんだん面白くなった。(自分は超暇だったからさ)
うちで考えてる事:
今回の隔離を通して、Pailinは本当に大人になったと思うの。
前のPailinは世界か母国のニュースが何も気にならず、世界の一般的な知識もかまわなかったけど、生まれてから23年間を経って初めて政府のお世話、民族の愛情が感じられ、
それは政府がお世話をしてくれなかったじゃなく、
自分の考えは今までまだ子供みたいに自分のことだけに気にしたんだ。
一部は、この留学チャンスのおかげで、ちょうどいい期間でベトナムに離れ、帰国すると、周りのことに気づき始まり、コメントが出せるようになり、世界観も変わったと思う。
それで、これから本気にベトナムに何かを貢献したいんだ。
なぜか?。。まだ曖昧な訳だね。
(変に聞こえるけど、)コロナのおかげで、ベトナム政府を誇りに思うようになったんだ。前は、ベトナムが遅く発展してる国だと思ったけど、
突然世界的に流行してる感染に遭い、隔離対象が安全な場所を作るため,
出来るだけ早く国民の団結を呼びかけ、成功させたこういう緊急事態で政府の威力が証明された。(寮から隔離措置へ、大学生たちの努力を、ボランティア青年を呼びかけた)
ちょっと今のベトナムの状況を伝えたいの。4月18日までは、268感染者のうちで198人が治り、二日間連続で0感染者が確認されてなく、死亡者が0人だ。
”ベトナムはラッキーだな、危険性がないな”って結論を急ぎすぎないでください!!
それは幸運ではなく、最近の対策実施ではなく、最初から感染者がただ16人の時期で、
もっと超えないように必死に戦ったが、
突然帰国する人数が増えてきて、こんな268感染者になるなんてしょうがないんだ。
しかし、ちゃんと最初から皆は政府の強い対策に従ってたので、300人以下でコントロールできるようになったというのは政府だけでなく、皆も政府に信じて努力してきた。
そう、これは大げさではなく、政府の行動を観察してきて、
国民は本当に政府に100%確信を持ってた。
“誰も残されない”という方針で、感染が確認された外国人までも無料医療を受けてるということなので、これでベトナム政府の力はまだ説得できないのか?
”あなたは帰られるけど、残る私は、いつか家族と再会できるのか、あとはもっとたくさんの隔離対象を迎えるから、たぶんあと2っ月かな”
ってあるボランティア青年はPailinとそう語らった。(泣)
“自分はそんなにアンラッキーではないかな、感染は私に移らないかな”
って考える人(私もそう思ったけど。。)が少なくない。
でも、今感染に戦っていてるボランティアたちの苦労を14日で目撃してたPailinは、
少なくとも彼らにもう負担をかけないように、政府の教えることに従い、
自分の健康をちゃんと守るように皆に哀願する。
彼らたちは軍の部隊、公安、医療スタッフ、ボランティア、青年など危険に構わなず、
本当に大変に戦ってるの。できるだけ彼らも帰られるように願ってるの。
隔離措置で毎日は忘れられない思い出になり、
自分の目で彼らたちの大変な努力が見られるのはPailinの光栄だ。
最後の日、私たちはお世話をしてくれた2人のお兄さんにプレゼントをさしあげた。
I miss the time when they knocked our door over 5 times everday just to give us snack :( They're so kind. I regret that I forgot to take a photo with 2 oniisan :( Thank you na
もっと書きたいけど、自分の日本語能力にもう疲れた -_-
日本に住んでいる皆さんも、楽しくstay homeしてね。いつか早く治ると信じてるよ!
またね、Pailin miss Tsukuba so much <3